第2回 平野久美子「坂の上のヤポーニャ」
1905年、日露戦争で日本がロシアに勝利した。極東の小国がヨーロッパの大国に勝った、というニュースは世界を震撼させたが、それまでロシアに痛めつけられてきた周辺の国々にはそれ以上に衝撃的だった。たとえばフィンランドにはいまだ「東郷ビール」がある。ロシア・バルチック艦隊を撃沈させた東郷平八郎の名を戴いたビールである。ラベルには軍服姿の東郷の肖像画が描かれている。フィンランドはロシアに国の一部を割譲され、長らく支配下となっていたが、日本海軍はそのロシアをやっつけてくれた。彼らはヒーローの東郷を称賛してビールにその名を残した。
この本の主人公、ステポナス・カイリースはバルト3国のうちの一つ、リトアニアに生れた。リトアニアはバルト海に望むロシアの隣国だが、中世以来、フィンランドと同様に大国ロシアの属国となっていた。カイリースは祖国の独立を夢に描き、社会主義運動家となるが、日露戦争の日本の勝利に歓喜し、「ニッポン論全三巻」を著した。本の名はいささか厳めしいが、現物は小冊子のような形で、日本の歴史が平明な文体で語られ、誰でも手軽に読める体裁だ。カイリースはこれを母国の労働者や若者たちに読ませて、明治政府の日本をお手本に祖国の復活を図ろう、という意図だった。
極東の小国、日本はそれまで300年の幕藩体制のなかにあり、世界から孤立していたが、アメリカのペルーが腕力でその門戸をこじ開けた。以来、維新政府は西洋から科学、技術、学問を積極的に取り入れ、近代国家の建設へ突き進み、ついにロシアを倒すまでに成長した。カイリースにとって、日本の躍進はさぞまばゆかったに違いない。カイリースは「坂の上に祖国独立の夢」を見たのだ。
しかし、リトアニアが独立するのには90年近くの年月が必要だった。帝政ロシアは崩れたが、社会主義国となってからもソビエト連邦国の一つとなって、大国の末端に組み入れられた。 カイリースはボルシェビキ(赤軍)の支配する祖国を逃れ、妻を残し、アメリカへ単身脱出。そして帰国の夢の実らぬままニューヨーク郊外、ロングアイランドの病床で85歳の生涯を終えた。田舎の農民の子として生まれ、地方大学の教授となったが、その名は祖国の歴史の片隅にしか残っていない。
「坂の上のヤポーニャ」は旅行案内旅の本ではない。しかし、はるか彼方の小国に埋もれた「日本論」なる稀覯本を発掘し、バルト海へと足を運ぶ筆者の軌跡は「旅」そのものである。旅とは好奇心に揺さぶられることであり、自らの世界に描く「短編小説」に遊ぶことなのだ。 トルコの初代大統領のアタチュルクも明治維新の日本を憧れ、そのエネルギーとスピリットを新国家建設の原動力とした。本書を読み進むと、遠い明治時代の日本人の気質や若い政経人たちの息吹きや体温が伝わってくる。今日の日本を形作った明治の男たち、その底抜けに明るく、ピュアな精神や活力こそ、今ぼくたちが学ばねばならないものなのだ。震災、原発、TPPで、国が沈没しないうちにぜひ読んでおこう。
著者: | 平野久美子 |
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タイトル: | 「坂の上のヤポーニャ」(産経新聞出版) |
定価: | 1,680円 |
発行日: | 2010年11月22日 |